LIFE IS BEAUTIFUL@HK /JP 25年ぶりの日本暮らしとお仕事、旅…

日々色々なことはあるけれど「人生は美しい」と言い続けたい。

オーストラリアへワーホリに・知らない自分に出会う旅の始まり【ブリスベン到着編】

 

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こんにちわ。ろみいです。

ゆっくりペースですが香港に来るまでの半生記を書いています。

オーストラリア編です。

 

 以前の記事は、こちらを読んでね!

幼少期~学生時代まで ↓↓↓ 

romiehk.hatenablog.com

 

就職時代~海外出発決心まで ↓↓↓

romiehk.hatenablog.com

 

いざ、オーストラリア・ブリスベン

たくさんの友人知人と両親が空港まで見送りに来てくれました。「一年は戻らないからね~!」という私に、まるで一生のお別れみたいにして...みんなの気持ちが本当にうれしかった。

 

飛行機は関西国際空港を飛び立ち、しばらくすると日本の空が見えなくなりました。本当に行くんだ。もう戻らない。飛行機が飛びだってすごく興奮してました。この時のエアラインはカンタス航空。ピーク期を外して出発したので乗客は多くなくて、わたしの周りの席は空いていました。長いフライト時間、周りの席が空いているなんて贅沢な旅でした。

 

乗務員は体格のいいオーストラリア人の乗務員のみ。機内からすでにオーストラリア気分。でも、乗務員のお決まりの英語すらロクに聞き取れずに、飛行機の中から一抹の不安を覚えました。

 

「到着したら、全部英語。何も決めていないけど大丈夫?わたし?」

 

 ブリスベンに到着したのは朝陽が顔を出したばかりの早朝。

 

美しい朝陽を見て「なんとかなるさ…」そう言い聞かせて、空港に降り立ちました。

 

そこでみた空の色、空気、見るものすべてがオーストラリアに来たことを実感させてくれ、根拠のない希望が胸を満たしていました。

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到着後すぐにしたこと

・空港でブリスベンシティ行のバスチケット購入

ブリスベンのトラベルセンターへ行き、

 安くて、中心地に近いホテルを紹介してもらった

・とりあえず5日間の宿泊を中心地から10分ほどのところに確保

 

日本で調べておいた通りに空港からブリスベンシティへのバスの切符を購入し、一路、市内に向かいました。とりあえずどこか泊るところを探さなきゃ始まらない。トラベルセンターで市内で比較的安くて、便利なホテルを予約してもらいました。こうやって書くと簡単にやったようですけど、実はあまり空いているホテルがなく希望のホテルを探すのに結構大変でした。

 

ホテルは近いというのでタクシーを使わずに歩くことにしたんだけど、実は結構な距離があり、道に迷ってしまいました。丘へ登らなければホテルにたどり着けないような立地だったんだけど…地図が読めてなかった...(汗)

 

親切なオーストラリア人!?

ブリスベンに到着したのは早朝。中心地についた頃には、通勤ラッシュ時でビジネスマン風の人たちが急ぎ足で歩いていく。.スーツケースを引っ張って歩いているわたしは、人の流れに逆らうように歩いていました。

 

すると、スーツ姿のオージー(オーストラリア人)が声をかけてきて、「どこまで行くんだい?僕が手伝ってあげるよ。こんな重いもの持って大変だろ。」ホテルの名前と場所を確かめると、わたしのスーツケースをひょいっと持ち上げ歩き出したんです。

 

自分も仕事に行かなくちゃいけないだろうに…

こんな親切にしてくれて…なんてオーストラリアの人は親切だろう。

 

荷物が重たくて、坂道を上がるように歩いていたわたしは、オーストラリア到着後に遭遇した親切に感動しました。彼は、ホテルまで荷物を運んでくれると「仕事があるので、それじゃ~!良い一日を!」と言って去っていった。オージーはいい人が多いんだろうな。

 

ひとりのしてくれた親切で、オーストラリアにいる人がみんないい人に見えてきた...

そんな始まりでした。

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語学学校、ホストファミリー探し

ホテル到着後、ブリスベンシティの散策をしました。本当に来たんだと感慨深くなっていました。次の日からは、英語が本当に出来ないことを実感していたので、早速語学学校探しをし始めました

 

いくつか前もって調べておいた学校に実際に訪問してみて、学校や先生、生徒の雰囲気、現地でもらった資料を比べ一番印象がよかったところを選びました。
そして、これからお世話になるホストファミリーも紹介してもらって、新しい生活が始まろうとしていました。

 

あの親切なオーストラリア人は?

ところで、スーツケースを親切に運んでくれたあのオーストラリア人の男の人...荷物を運んでくれたその日から毎日ホテルに来るようになってしまったんです。

1日目 誘われたので、親切にしてもらったお礼に食事を共に。
    でも、英語が出来ないので会話も続かない。
    
2日目 部屋の前までやってきた。「食事をしよう」と誘われたけど 
    疲れているからと、ドアから中に入れなかった。
    (学校探しをしに行ったので、ほんとに疲れてた。)

3日目 朝にも夕方にもやってきた。
    ちょっと恐くなったので居留守をつかう。
    部屋の中の小窓から彼が去るのを見届ける。
    (学校の申し込みなどをしてきた日)


4日目  またまた、やって来る。
     居留守を使う。


5日目  ホテルからホストファミリーの家に移動。

実はこの男性、いかにもジェントルマンで

親切にしてもらったのはうれしかったんだけど...


ちゃんとコミュニケーションもとれないのに、英語で喋らなくてはいけないと思うと
会うのがプレッシャーに感じたし
もしかして...親切心だけで近ずいてきてるのではないのでは?と、

せっかく親切にしていただいたのだけど、結局怖くなり、うっとうしくなってしまった。(たかが4日間の事だけど)

オーストラリア初めての一週間は、
学校探しと街歩き、ホームステイ先を見つけてもらうということで過ぎました。

 

経験から学んだこと!

・どこに行くにも下調べと準備はしていくことに、越したことはない。

 渡航後の泊るところ、語学学校等は決めずに渡航した私でしたが、下調べはきっちりしていきました。計画もね!

・世界中どこでもそうですが、親切にしてきても人を簡単に信用してはダメ!

 オーストラリアには、たくさんのやさしい方、良い方との出会いがありましたがその反対の人もいましたから…

・でも、出会いは大切!良い出会いは一生のものなんですよね!

 

 追記…

わたしは、1年間は日本に戻らないからと言いながら、飛行機のチケットだけを購入して飛び立ちました。しかし、親のことを考えるとせめて初日に泊まるところや学校ぐらいは決めて行ってもよかったと思っています。

幸い、オーストラリアについて1週間で語学学校、滞在先(ホストファミリー)が決まったのですぐに安心させることが出来ましたが、その間の1週間は親にとっては不安だったようです。

まだ、あなたが学生で親のお金で行くのであれば、そうしたほうがいいしでしょう。しかし、すでに独立しての出発であれば、話は少し変わってくるでしょう。

 

では…

 

ろみい

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