こんにちわ。ろみい(@RomieRomie5)です。
ファミリーヒストリーとして、お義母さんの半生記を書いています。少しばかり変わった家族形態のわたしたち。あと30年、いや、半世紀になればこのような家族形態はなくなるでしょう。
まだ、結婚をして間もない頃、我が家の少しばかり特殊な家族関係を人に話すことや書くことは良くないことと思うことがありました。それは、プライバシーもありましたが、主人の兄弟たちのこころに「傷」があったからです。多感な時期は、兄弟間で会うこともあんまりしなかった時期もあるそうです。
しかし、ある時期から兄弟、姉妹たちの関係は「恥ずかしいことではない。こんなに互いに助け合い、良くしている。愛がある。」
わたしは、書いておきたいと思うようになりました。
お義母さんにいたっては、「銀行家のもとに生まれたが故の暮らし」と時代の流れで「無くしたものの大きさ」を教えてくれました。不自由なく暮らす富豪から貧しい暮らし(貧しい時代)への大きな変化は、彼女にとって相当堪えた人生でした。
一夫多妻制が合法とされていた香港の中で、ある女性の苦悩と苦悩と家族の苦しみと葛藤を軽いタッチで書いてます。読んでくださいね!
こちらは、前回の記事です。
元銀行家のお嬢様の苦悩
シングルマザーになったこの女性(お義母さん)。
彼女の生活は、夫からくる精神的苦痛からは、多少解放されたような気がしたけれど
現実に襲ってくる女一人で2人の子供を育てていくことは、
生半可なことじゃなく、本当に大変だったと
当時を振り返る時は、いつも遠くを見て話しだします。
その後、彼女は女でひとつで2人の子供たちを育てあげました。時代的にもまだまだ豊かでなかった香港。それは、それは、苦労されたようです。
もともとは、銀行家の両親のもとで育ち、実家には10人以上の召使さんたちがこの家族に仕えていました。料理を作る料理人。掃除をする人。庭を担当している人。家族ひとりひとりにつけられていたお手伝いさん。お義母さんは、本を書むことが趣味で、音楽をたしなみ、苦労も知らないお嬢様でした。
平和な世の中であったなら、一生をそのような環境で過ごしたであろうに・・・
でも、その当時の中国は歴史的に多くの人たちの運命を変えました。
そして、彼女もその歴史の波の中で両親を失い、家を失い、中国を去った者の一人でした。
長男の10代は一人暮らしをしていた
お義母さんが夫の元を去った後・・・上の息子は、10代のまだ中学生の多感な時でした。しかし、当時母親の事情により、中学生でありながら強いられて1人暮らしをすることになりました。マンションの1室を間借りしての一人暮らし。子どもながらにして、多くの大人の事情も垣間見たとか...
また、中学生男子の一人暮らし。大体ご想像通りだと思いますが、当時の食事は、缶詰を温めて食べたり、コカ・コーラーなどの炭酸系ドリンクでお腹いっぱいにしたこともあったそうです。暖かい手料理はあまり食べたことがないと当時を振り返って言います。
しかし、ひとり暮らしをしている息子を思ってか、お父さんは時々息子に会いに来てくれました。後には、新しいお義母さんや生まれてきた3人の妹達とも会い、見かねた第3婦人の家族の一員として共に過ごすこともあったということ。
複雑な心境だったと、今も彼は語りますが、父親は長男である彼には父親としてのサポートを継続してしてくれました。
海外の学校に留学で行くことになった時も、母親には出来ない金銭的なものを全て用意してくれ、彼はカナダで勉強をすることができました。
彼にとっては、父親は、父親としてずっと接してくれ
いつも一緒にいるわけではなかったけれど頼りにはしていました。
そして、増えていく家族に複雑な気持ちになりながらも
大家族という中で育っていったのでした。
3人の妻と家族
この時には、お父さんには3人の妻がいました。
1番目の奥様(他界)には、2人の息子。
2番目の奥様(お義母さんは、この方)には、2人の息子。
3番目の奥様には、3人の娘。
後に4番目の奥様と2人の子供を設けられます。
不思議な関係に見えるかもしれませんが、
子どもたち同士で会うこともあれば、
時には、奥様同士が会うこともあり、
お互いの家にも行き来したり、家族としての時を過ごしています。
日本では考えられませんね。
父を見たことのない弟
しかし、この中で、実の父に物心ついてからも
会ったことがない人がいました。
2番目の奥さんの2人目の息子。それは、主人の弟。
幼い時に父と離れ、その父の顔も思い出せず
父親の写真さえも見たことのなかった弟は、
母から聞く極悪非道な父親のことを憎むようになっていました。
「お父さんは、お母さんを苦しめ、僕たち家族を捨て、僕のことも見捨てた奴だ。」
「どうしようもないヤツだ...」と。
しかし、
お父さんは、幼少の時から会ったことのない彼(下の子)と
会いたい気持ちが片時も離れることがなく
お義母さんに「息子に合わせてくれないか?」 と何度も尋ねていたのです。
息子達が成人してからは、上の息子(主人)を通して
成長した息子に会うためにいろいろなアプローチをしていたのでした。
でも、父を憎む気持ちの方が
会いたいという気持ちよりも大きくなっていた彼は、
「一生、絶対に会わない!」と宣言していたんです。
その横で・・・
微笑んでいた女性がいたんです。
そう...そうです。
お義母さん。
彼女にとって、あの元旦那、あの男にする
唯一の復讐はこの手だったのです...
が、
人生とはホント不思議なものです。
人の思いを遥かに超えた何かが動いているとしか思えません。
この後、大きく゛事゛が動き出すのでした。
(続く)
ろみい