こんにちわ(@RomieRomie5)です。
少し前に香港に来て10年間は主婦をしていたことを書きました。
わたしは働くということが好きでしたが、子供が出来てからは自分で育てたい!
と、ワーキングママにとっては働きやすい環境の香港で思いました。主人もそのことを承諾してくれ、10年も子供たちとじっくりと関わって子育てすることが出来たんですね。
しかし、主人の退職・長い休暇を機にわたしは再就職を決意します。当時としては、10年間働いてこなかったということが大きなブランクと感じ、大きな不安を抱えていました。
正直...10年のブランクって...長いですよね。
自分ではそう思っていなくても企業はそう言います。
もう、再就職考えただけで正直コワかったんです。
10年経ったら、オフィス機器なんかすべて新しいものに変わっているし、PC操作も随分と変わっている。「社会に、会社についていけるのだろうか?」「自分を採用してくれる会社なんてあるの?」と心配で仕方ありませんでした。
でもね...どうしようもない時ってあるじゃないですか?
生活にも子育てにもお金が必要です。貯金を切り崩すしかない生活の中で...
目減りする通帳の数字とのにらめっこ。
我が家の場合、主人の次の職場が決まるまで...長い時間が必要でした。聞きたいですか?本当に長い時間です...いつか書くかもしれません。「もう、自分がやるしかないっ...」てところまで追い込まれてからの行動です。
その時の覚悟は「主人がもし、働けないようなことになったら、わたしがこの家の大黒柱になろう。」とも思っていました。
そんなわたしの再就職するまでの経験を書いてみました。
読んでみて下さいね!
主婦10年のわたしが香港で就職するまで
1.履歴書と職務経歴書の準備(日本語、英語)
一番初めにしたのは、履歴書と職務経歴書の準備。今まで英語の履歴書なんて書いたことがなかったので準備はとても大変だったのを覚えています。
日本語の履歴書は、日本から念のために購入していた履歴書に書きました。職務経歴書はWardで作成。英文の履歴書と職務履歴書はWebサイトなどを参考にして、自分で作成しました。でも、自然な表現に不安があったのでアメリカ人の友達に最後は見てもらいました。
「履歴書、職務経歴書」「希望職種」を検索するとより職種、自分のキャリアにあった履歴書作成の参考になります。例えば、検索するときに「職務経歴書 マーチェンダイザー」と検索すればいろいろなWebページがHITします。これを使わない手はありませんが、丸写しの場合はバレますよ。
わたしは、主婦歴が長かったので前職でして来たこと、いくつか請け負った翻訳やメディアの仕事、ありとあらゆる自分の売りになることを書きましたが...今、あの頃の履歴書を見ると恥ずかしい代物です。笑。
2.人材紹介会社への登録(海外人材紹介会社)
香港にもいろいろな人材紹介会社があります。検索すればすぐにたくさん出てきます。わたしは、履歴書と職務経歴書がそろった時点ですぐに登録しました。当時、2社の人材紹介会社へ登録。通常、登録から数日後に紹介会社のオフィスに出向き、面接をし、キャリア相談の時間がとられます。
面接は履歴書や職務経歴書に沿って日本語・英語・広東語の面接をしました。また、キャリア相談では、主婦歴10年、以前の職種を踏まえ、自分が今後どのようなキャリアをつけていきたいかなど詳しく相談にのってくれました。
とりあえず登録して、まず、話を聞いてみるだけでもいいと思います。
3.求職中ということを周りの人に話す
実は、わたしは周りの人たちに「自分は求職中!」ということを公言していました。
「いいお仕事の紹介がありましたらお声をかけてください。」と。
本当、人と人との繋がりの中で何がきっかけになるか分かりません。人との関係は大事にすべきです。実は、後に知人からの紹介という、ご縁である日系企業からお声をかけていただくことになりました。
企業面接は多くの場合、日本語・英語・広東語
人材紹介の会社での面接
人材紹介会社では、必ずと言っていいほど履歴書や職務経歴書に沿って日本語・英語・広東語の面接をします。日本語の面接では日本人が、英語と広東語の面接は香港人が語学のレベルを見ていたのは先に書いた通りです。
しかし、日本語で話すだけでも面接と言うのは緊張するものだけど、2,3か国語が話せる香港人と一緒に働くためにどれくらいの語学レベルを持っているかは、必ず、どこの紹介会社も企業も見ます。紹介会社では緊張しないでくださいね!練習と思えばいい!
紹介先企業での面接 日系企業にて
日本語と広東語、英語での面接。フルタイムを希望していたにも関わらず、先方は週に3日ほどの出勤を希望。貿易関係の仕事でしたが希望が合わずお断りをしました。
紹介先企業での面接 有名外資系企業のケース
日本語と広東語、英語での面接。主に英語での面接でした。面接の担当者は香港人だったけど英語のネイティブスピーカー。喋るのが速い人でした。返答するのが精一杯でした。笑
面接では、マニュアルにあるような質問をたくさんされましたが30分以上の長い面接。クセのある香港人の英語ではなくきれいな英語に緊張しました...笑。
質問されたこと
・志望理由、前職の退職理由、ブランクの時間何をしていたのか...等。
・今までの職務経験等
・この企業に関して知っていること。
・問題の対応方法。例と具体的な返答を求められた。
・自分自身のアピール
・会社への質問等
人材紹介会社からの紹介先は何社?
人材紹介会社2社からは、5社を紹介してもらいました。採用が決まるまでに時間がかかるようであれば、おそらくもっと紹介してもらえたでしょうが、私の場合は、幸運なことに意外と早く決まりました。
1社からは日系企業を、もう一社からは外資系の企業を紹介され、面接に行かせてもらいました。
採用の連絡
知人からの紹介の日系企業
実は、知人からの紹介で日系会社から声をかけてもらい面接に行きました。面接は、日本人が2人。面接で使用した言語は、日本語と英語、広東語でした。面接をしてもらった人の印象もよく、和やかに面接が出来ました。こちらの会社からは、面接したのその日に採用内定をいただきました。
人材派遣業者からの連絡
2社の面接に行き、1社が採用・契約を進めようとしてくれました。しかし、すでに紹介してもらった企業で契約を進めていたので、そのことを伝えたんです。すると今までの提示給与の金額をびっくりするくらい上乗せして提示してきてきました。心が一瞬揺らぎましたよ~。でも、先に決めた方がフィーリングがよかったので丁重に申し出を断らせてもらいましたが...。
こういう駆け引きもあることをこの時に学びました。
最終決定と契約
知人を通して声をかけてもらった日系企業と雇用契約をしました。
「この人は根性がありそうだ。」
というのが決めてだったらしいです...
「えええ!そこですか!?」
と後々突っ込みましたが、
実は、履歴書に書いても役に立たないと思って書いた「バレーボール歴6年」が目に留まったというのです。
本当、何がどう転ぶか分からないですね。
それから、この会社で約9年間働くことになりました。
最後に
採用の決め手が「根性ありそう...」っていうのはどうかと思いましたが、とにかく10年のブランクのあったわたしは就職をしたのです。そして、そこからの仕事でのキャリアは、私自身を大きく変えてくれるものになりました。
この経験で読んでくれている人に伝えたいのは、「例え長いブランクがあってもあきらめないでほしい」ということ。そして、「とにかく、働きたいと思ったら挑戦してみて!」ということです。上手くいかないこともあります。
でも、知り合いで50歳を超えた方も転職をしたり、就職をしたり、ある方はフリーランスとして仕事を始めたり、バイトをしたり...しています。あきらめなかった方たちです。
そうそう、採用してくれた会社でその後、9年働くことになりました。
働き始める前のあの頃のわたしに言ってあげたい!
「あなたの未来は面白いことになっているよ!」と。
では、ろみい